2013年 02月 23日
二川さんの写真 |
二川幸夫・建築写真の原点 日本の民家一九五五年で考えたこと
会場構成は、写真を展示するパネルが会場に散らばった構成
順路はあったけど、自由に歩き回りながら作品が観られる。
雑木林の中を、勝手気ままに歩くような。
でも、雑木林は雑木林でも、1本々々の個性が強い樹が生い茂る林。
里山のように、クヌギなどのベースとなる樹の中に、イチョウやサクラなどが、散在する雑木林とは違う。
その上、今回の会場は余り広くない。作品が高密度で存在していた。
写真の発表の仕方には、単体と組写真があるけど、
二川さんの写真は、前者。それもかなりのインパクト。
その写真らが、一度に視界に入ってくると頭がパンク。
(ここでは、ぼくの集中力の話は置いといて)
作品を展示する前のパネルだけの状態だったら、空間として
いいじゃないかと思った。
けど、写真が展示された状態では、
一枚一枚の個性が強すぎて落ち着かなかった。
以前も、同じ体験をしたことがある。
バイト先に置いてあった、絵画のポストカードが
とても素敵だったので、ギャラリーに足を運んだら、
群となった絵画の前では、頭がパンクしてしまった。
会場構成は、写真を展示するパネルが会場に散らばった構成
順路はあったけど、自由に歩き回りながら作品が観られる。
雑木林の中を、勝手気ままに歩くような。
でも、雑木林は雑木林でも、1本々々の個性が強い樹が生い茂る林。
里山のように、クヌギなどのベースとなる樹の中に、イチョウやサクラなどが、散在する雑木林とは違う。
その上、今回の会場は余り広くない。作品が高密度で存在していた。
写真の発表の仕方には、単体と組写真があるけど、
二川さんの写真は、前者。それもかなりのインパクト。
その写真らが、一度に視界に入ってくると頭がパンク。
(ここでは、ぼくの集中力の話は置いといて)
作品を展示する前のパネルだけの状態だったら、空間として
いいじゃないかと思った。
けど、写真が展示された状態では、
一枚一枚の個性が強すぎて落ち着かなかった。
以前も、同じ体験をしたことがある。
バイト先に置いてあった、絵画のポストカードが
とても素敵だったので、ギャラリーに足を運んだら、
群となった絵画の前では、頭がパンクしてしまった。
by chippu6111
| 2013-02-23 11:27
| think/feel